説明資料をしっかりと作ること。
うまく説明する事が苦手だ。ただし、資料はそれなりにちゃんとしたものを作れる。
事前にしっかりとした資料を準備する事で、余裕を持った気持ちで巡回できるようにすることが大事だと感じた。
ニーズのあることに集中する
管轄エリアの職員が思うように動いてくれない。部下ではないところが、難しいところで、自分の実績を上げようとするとお願いベースの仕事になってしまう。
管轄エリアの職員の先にいるお客のニーズに合うようなことをするしかない。そちらに直接訴えて、管轄エリアの職員が動かざるえないような仕組みを作る。
額の大きな補助金の申請支援に特化。
特化して、他の職員ができないレベルの支援を無料で行える事を強みにする。
やりたいことについて
他人が興味のあること。例えば旅行とかあまり興味が沸かない。大人数で行く旅行なんて苦痛でしかない。
珍しい食べ物とか、有名人とか、にもあまり興味が沸かない。
上記のようなことについて興味がないが、きっとどこかにまだ見つかっていない興味が沸くこと、やりたいことと出会って、それを極めていくような人生を送りたいと思っていた。
そのやりたい事って、能動的なもの、をイメージしていた。例えば、楽器とか、ゲームとか、絵とか、小説を書くとか、サウナ施設つくるとかそういったもの。
でも、本当のところ、私自身の本当にやりたいこと、人生で求めていることって、「本当に自由な1日」なんだってふと思った。
誰にも干渉されない、どこに行っても良いし、どこに行かなくてもいい。誰からも連絡がこない。ずっとだらだらしてていい。そんな自由な1日。
お金がたくさんほしい、と昔は思っていた。今でも10億くらい欲しいなって本当に思う。
だけど、お金を使ってしたいことって、死ぬまでに「本当に自由な1日」を継続することだけだ。高いものが欲しいわけではないし、贅沢な生活がしたいわけではない。ただ毎日、ゲームして、漫画読んで、YouTubeみて、サウナ入って、酒飲んで寝たい。それを誰からも干渉されずに1人でできればそれでいい。
他人が語るやりたいことってきらきらしているが、私自身の本音のところのやりたい事って、そういうこと何だと思った。
かっこいいことでは無い。世の中の為になるような人間でもない。でもそれが自分自身だ。それを変えるなんて、無理で、自分自身の人生が満足するように、それを目指していけば良いんだと思う。
自分を飾る必要なんてない。
人に媚びず、富貴を求めず、…
仕事で少し上手くいかないことがあると、表題の言葉を思い出す。黒田官兵衛の言葉だが、他人からの目線、視線が異常に気になってしまう性分なので、官兵衛みたいに生きたいなと思う。
人からどう思われたって構わない、お金を求めない、そういう生き方にすごく惹かれるが、自分らしさを加えたプラスαで何かないかな。
人に媚びず、富貴を求めず、知識で負けず、合理的に判断す。
とかどうだろう。
他人からの目線を気にせず、贅沢をせず、ただひたすらに知識を求めて、合理的に判断して生きていく。
知識を得るのは好きだし、できるし、比較的得意だと思う。
贅沢もあまり好きでは無いし、興味もない。
また、「合理的」でありたいと思うし、「合理的」って言う言葉に何故か惹かれる自分がいる。他人が良しとする価値観に、ホントにそうですかと、合理で対抗していきたい。
具体的にできることはなんだろう。
嫌な飲み会や誘いは断っていい。
贅沢はあまりしてないけど、より節約に努める。節約も得意。
新聞プラス仕事に関係のある施策などは誰よりも詳しくなる。しっりと読む。
ノートパソコンを持ち歩く。紙に書くのはホント非合理なので書かない。どっちにしてもパソコンに打たないと忘れるし、検索もできない。書くよりもタイピングの方が早い。
評価される必要なんてない
自分の体力的な健康(しっかりと眠れないとか、休みの日に動きたくないとか)、精神的な健康(仕事の事が休みにも気になるみたいなこと)が何より大事だと思う。
自分の実力以上に評価されることや、自分の理想を達成するために自分を犠牲にするほど頑張ることなど、自分の人生にプラスにならない。
自分の楽しい分量、楽しいクオリティで、少しだけ満足いくクオリティで仕事はすればいい。評価されなくても、貢献に注目すること。ムダと思うようなことは適当に。大事だと思うことの中で、優先度が高いものを自分の体力とやる気があるだけ、丁寧に。
評価される必要なんてない。自分の健康が一番大事。健康にプラスになる範囲で仕事はすること。
考えた事
ここ数日、響けユーフォニアムを見て、小説を読んで感じることが多い。
部活や勉強などで優秀な人間、あすかや梓みたいな人間。他にも好きなことがある人、趣味に打ち込んでるひと、やりたいことがある人、夢がある人。かっこいいなと思う。
高校時代に全国大会目指して何かに打ち込んだ人間、文化祭とかに打ち込んだ人間、卒業式に泣けるような人間、自分には全く無かった人生で、むなしく思うこともあるけど、それが自分なんだって思う。そんな人はかっこいいけど、自分は違うんだししょうが無い。そんな人はかっこいいけど、別に偉いわけではない。
自分は違う。特にやりたいことがあるわけではなく、優秀でもない。好きなこともない。いや、他人に誇れるような好きなことがない。
でもそれって情けない事なんだろうか。優秀な人、容姿が優れた人、人格が優れた人、好かれる人。そういう人っている。自分は違う。でもそれって情けない事なんだろうか。大体が親と自分がすごく似てる。これってもうしょうがないとしか言いようがない。
そんなことはない。自分だって、そう思われてた時期は確かにあった。
勉強が周りで一番できた時期はあった。部活がチームで一番できた時期もあった。でもそうじゃない時期もあった。そんなもん。別に優秀な人、好きなことに打ち込んでる人が素晴らしい訳じゃ無い。ただの個性の違いでしかない。
優れた職業に就いている人が素晴らしいんだろうか。そんなこともない。優秀な人が優れた職業に就く可能性が高いけど、それとおんなじ。
優秀か優秀じゃ無いか、優れた職業に就くか就かないか。魅力的な趣味を持ってるか持っていないか。そんなことは自分の人生にとって重要じゃない。
いかに楽しむか。自分という人間らしく生きるか。
優れた会社に勤めていない、優れた職業に就けていない、ということは一見、残念なこと、失敗に見えるが、そんなこともない。そんな状況は身軽なんだ。何だってできる。良い会社、良い職業に就いてたら、簡単にそれを捨てることができない。重いはずだ。
自分にはそんなに守るべき会社、職業はない。いつだって何だってチャレンジできる。趣味だって。なんだって。
もちろんチャレンジしなくてもいい。もともとだらだらとした性格だ。何か特別やりたいこともないことが多かった。たまにはまることはあったけど。
何かやりたいことが見つかるまで、だらだらやって、そんなことがもし見つかったら、思い切り飛び込んでみようと思う。
もちろん、サウナ入って、酒飲んで、だらだらしながら生きたって、全然素晴らしい事だと思うけどね。